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新島襄・八重の墓、山本覚馬の墓

哲学の道の入口です 「新島襄、八重、徳富蘇峰の墓 徒歩約20分」とあります
京都検定的に大事な「京都三熊野」のひとつ、熊野若王子神社を通り過ぎます

若王子神社の裏手にある看板です 道が分かれてるので右方向へ

ここから山道を登っていきます

少し歩くと左手に滝が見えます 先ほどの分かれ道の看板にあった滝です

杖が置いてあるのでありがたく借りていきましょう

山道は容赦なく続きます。
道はところどころコンクリートの階段状になってますが、ほとんど整備されてません
歩きやすい靴じゃないと、危ないです
歩くこと(登ること)20~30分 山が開けて墓地に。十字架の墓石が目につきます。同志社の共葬墓地のようです。
更に進み、到着!山頂でした。

新島襄と八重さんのお墓が並んでます よく見ると八重さんの方は「新嶋八重」となってます
新島襄の墓碑は勝海舟の揮毫によるもので、 現在の墓碑は1987年に再建されたものだそうです。 碑銘は元の墓碑から写し刻んだとあります
46歳でこの世を去った同志社大学の創立者新島襄は 葬儀の後、学生に担がれてここに埋葬されたとあります
この墓地にはたくさんの人が訪れるのでしょう、とてもきれいにされてました
そして、袋にはいった清掃用具があちこちの木にくくりつけてあります
山頂の墓地は少し広くなっていて、
八重さんの兄、山本覚馬のお墓も。

(2013年1月)
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